148 能面を打つ 葉山の若松倶良

葉山観世流謡曲会の若松容子さんのご主人、(とも)(よし)さん(1938~2013)が、存命中に、能面を制作していたことは、それとなく伝わっていた。

容子さんから、中川さんに似ている能面を差し上げたいと言われ、東伏見台の若松さんを訪れた。和室に仏壇が見えたので、お線香を上げさせてもらった。テーブルに、能面が14並べられていた。一つだけ容子さんが、帰るとオデコをなでる面が額装されて下がっていた。

倶良さんは子どもの頃から絵画、習字、陶芸、彫金が好きで、高校卒業時は画家志望であったが、自分には「湧き出る」ほどのものがないと、慶応法学部に入学した。しかし大学ではパレットクラブで油絵を続け、社会人になっても銀座の画廊通いを続けていた。
定年前に仕事を辞め、たまたま容子さんが関心をもった能面を打つことに飛び込んだ。藤沢の原田満雄先生に師事し、能面を打つ世界に入った。3年後には、能登のコンクールで佳作に入賞した。

並べられたものから、中川に似ているというはどれか尋ねられたが、すぐ当てることが出来た。おそらく中将・今若だと思われる。いただくのはうれしいと思ったが、倶良さんが、桧木の角材から、彫り、削り、擦り、塗り、彩色して、魂込めて作られたと想像すると、その重さに堪えられず「はい、いただきます」とは言えなかった。(ろくさん)

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